山川賢一検証blog

批評家・山川賢一(@shinkai35)の言動を検証するblogです。誤りのご指摘・ご意見はyamakawakenshoあっとgmail.comまで。

山川賢一のレイコフ引用

 山川は最近も、<ポストモダンが生まれた一因はウォーフ説にある>*1と繰り返す。ウォーフは「ポモ/ポストモダン相対主義」の親玉だとする、以前の主張の反復である。山川によると、ウォーフや「ポモ」は「諸言語による思考は絶対的に異質なので人間は普遍的認識をもてないと考えてる」*2。そして今回山川は、レイコフがウォーフのことを「20世紀最大の相対主義者と呼んでる」と主張した。

 確かにほんの表面だけなぞるなら、レイコフが『認知意味論――言語から見た人間の心』*3の第18章「ウォーフと相対主義」)で、ウォーフのことを「今世紀の最も著名な相対主義者」(p.370)と呼んでいることは指摘できる。

 

 

 ところがレイコフ自身は、ウォーフを素朴に相対主義者だとは考えていない。「ウォーフは分類しにくい人物であった。彼のことを単に相対主義者であると考えてしまうと,あまりに極端に割り切りすぎているということになる」(『認知意味論』, p.397)

 

山川はレイコフの『認知意味論』を引合いにだしている。ならレイコフのウォーフ解釈も取り入れないんですか?と聞きたくなる。レイコフはウォーフのことを「客観主義」と呼んでいるが、その理由は以前、記事で詳しく説明した。

 

レイコフvs山川賢一:ウォーフにおける「普遍的認識」 - 山川賢一検証blog

 

レイコフはウォーフについて、「彼は客観主義的現実が存在するということを信じていた。そして彼は,言語に組み込まれた概念体系のうちのあるものだけがかなり正確にその現実に適合し得ると信じていた。」と述べている。また、「彼は,諸言語はその概念体系においてそれぞれ異なっていると信じていたが,諸言語のうちのあるものは他のものよりも正確で,従って科学の研究により適していると信じていた。」*4とも述べている。これは「諸言語による思考は絶対的に異質なので人間は普遍的認識をもてないと考えてる」とする山川賢一的「相対主義」ではないし、「ポモ」的見解でもない。

 レイコフはそれだから「彼[ウォーフ]のことを単に相対主義者であると考えてしまうと,あまりに極端に割り切りすぎているということになる」と評したのである。

 

 以上のレイコフの主張を踏まえて、山川の「レイコフは『認知意味論』で、ウォーフを20世紀最大の相対主義者と呼んでる」*5というツイートを振り返ろう。私が知る限り、これに最も近いレイコフのテキストは「第三に,私は,今世紀の最も著名な相対主義者,ベンジャミン・リー・ウォーフの見解について論ずる。」(p.370)である。この発言は第18章「ウォーフと相対主義」の冒頭にある。そして先ほど引用したレイコフの「彼のことを単に相対主義者であると考えてしまうと,あまりに極端に割り切りすぎている」というテキストは、実は、全く同じ第18章「ウォーフと相対主義」の後半部分の主張なのである。

 それゆえ整合的に読むならば、レイコフは<ウォーフは今世紀の最も著名な相対主義者とされているけれども、実際は違うよ>、という反語的な意図で「今世紀の最も著名な相対主義者」と書いたことになる。

*1:https://twitter.com/shinkai35/status/1026383345922404352

*2:https://twitter.com/shinkai35/status/924088265866584064

*3:池上嘉彦・河上誓作ほか訳『認知意味論――言語から見た人間の心』, 紀伊國屋書店, 1993年, pp.370-413.

*4:『認知意味論』, p.395-397

*5:https://twitter.com/shinkai35/status/1026387866182606848