山川賢一検証blog

批評家・山川賢一(@shinkai35)の言動を検証するblogです。誤りのご指摘・ご意見はyamakawakenshoあっとgmail.comまで。

ウォーフの「オカルト」思想について。

 山川は当初、ウォーフの言語的相対主義・認識的相対主義批判を行っていたが、このブログが彼の誤読を指摘してしばらくした後、<ウォーフの哲学はオカルト>という旨の批判に切り替えはじめた。以前も指摘したが山川のこの振る舞い、明らかに論点がズレているので、後出しで「発見」した論点のように見えるのですが。

 

山川は最近、上記のように<<ウォーフはオカルト>>という論点を押し出してきた。しかし「諸言語による思考は絶対的に異質なので人間は普遍的認識をもてない」とウォーフは考えてるとした山川のウォーフ解釈と、オカルトという論点は直接的関係にない。

 

山川賢一のウォーフ解釈:ウォーフにおける「普遍的認識」 - 山川賢一検証blog

 

かくいう私も、最初にウォーフの『言語・思考・現実』を通読した際、後半部にヨガで認識を高めることが出来る、といった示唆*1を見かけて、変なことを言うなあと思ったものである。確かに山川の言うように、『言語・思考・現実』の後半部はインドの古代思想や、神智学への言及で彩られている。私はこれらの箇所を、彼の言語哲学・科学哲学的主張の「理路」「論理」に対してあくまでも「装飾」的であり、ウォーフの論述のコアは、彼の経歴が理系エンジニアであることの延長上にある合理的なものだと感じたためスルーした。この点を善意の解釈、好意的解釈への偏りだと批判されればその通りである。

 参考意見としてソーカル・ブリクモンの見解を見てみよう。

 

ニュートンの著作の九〇%は錬金術神秘主義を扱ったものだといわれている。しかし、それがどうしたというのだろう? それ以外のニュートンの仕事は、経験に基づいた合理的な議論にしっかり支えられているから、今日でも色褪せていない。同じように、デカルトの物理はほとんどが間違いだったが、彼が提起したいくつかの哲学的な問題は今日でも意義をもっている。もし、この本で扱う著者たちについても同じことがいえるのであれば、われわれの批判は枝葉末節にすぎないということになるだろう。しかし、もしもこれらの著者たちが世界的な名声を勝ち得たのが、学問的な要因よりもむしろ社会的な要因によるのであれば、また、彼らが言葉を操る達人で、科学用語のみならず難解な専門用語を巧みに濫用して読者を感服させてきたからであれば、この本で明らかにする事実が重大な反響を生むことになるかもしれない。

 

 上記は『知の欺瞞』*2からの引用である。著者らは「ニュートンの著作の九〇%は錬金術神秘主義を扱ったものだといわれている。しかし、それがどうしたというのだろう?」と言っている。ソーカル・ブリクモンはニュートンに対して善意の解釈、好意的解釈を行っているのである。それゆえウォーフに関しても、「ウォーフの著作の幾らかは神秘主義を扱ったものだといわれている。しかし、それがどうしたというのだろう?」と同様に言えるのではないだろうか。争点は、ウォーフの提起した問題や理論が、ニュートンの提起した問題や理論のように、現在でも学術的に評価できるのか否かにある。結局、山川は言語的相対主義、認識的相対主義の問題に立ち戻らざるを得ないのである。

*1:「言語と精神と現実」など

*2: アラン・ソーカル&ジャン・ブリクモン[著], 田崎晴明・大野克嗣・堀茂樹[訳]『「知」の欺瞞―ポストモダン思想における科学の濫用』, 岩波書店, 2000年, pp.10-11