山川賢一検証blog

批評家・山川賢一(@shinkai35)の言動を検証するblogです。誤りのご指摘・ご意見はyamakawakenshoあっとgmail.comまで。

山川賢一検証blogの中心思想

 一言で表せば、「データを歪めず提示しよう」という事になる。これは、文系・理系問わずあらゆる科学的思考の初歩の初歩、キホンであると思うがどうだろうか。山川にとってウォーフは論敵である。ウォーフの著作内容はデータである。論敵であろうと誰だろうと、その著作内容を歪める妙な切り貼り引用をしてはいけない。またネットバトルならまだしも、まじめに知的な探究を進める気ならば、引用部以外でも論敵の言わんとすることを十分に受け止めて、解釈を提示する必要がある。ポパーやレイコフといった大学者が好意的に引用しているウォーフの思想を、「オカルト!」の一言で片付けようとする不自然さに気付いてほしい。

 例えば散布図に用いるデータを恣意的に選んだり廃棄して、自分に都合のいい相関関係=「意味」を「構築」する研究者をあなたはどう思うだろうか。そういう事である。

 複素数太郎氏は次のように評している。

 

 山川がこんな滅茶苦茶な言いがかりをつけてくるのは私に対してだけではない。どかい(ラッコ)氏の 山川賢一検証ブログ *23を参照してもらえればわかるように、彼はまず自分の中で「そうであってほしい」あるいは彼自身が「こうでなければ理解できない」という結論を用意し、そこにたどり着くためなら発言の切り貼りや文脈の無視などのおよそ学術的に誠実とは言えないような姑息な手をふんだんに用いる。山川の不誠実さは 山川賢一さんと複素数太郎さんの「無批判に『「知」の欺瞞』を信じちゃう人が味方サイドにいるのはリスクでしかない」という話 からもわかる。山川はこの件で私に恨みを持っている*24ようだから、なおさら滅茶苦茶な言いがかりをつけてくるのだ。彼がソーカルとブリクモンの『「知」の欺瞞』における“ゲーデル不完全性定理の濫用についての批判”を文系向け一般教養科目で教えられる程度の論理学の基礎知識もまったく持たない状態で得意げに引用していたところに、私が「それもソーカルらの批判対象となり得る行為ではないか」と指摘を入れたのだ*25。これではポストモダニズム批判によってインターネットで名をあげてきた山川の面目丸つぶれである。

すべてを終わらせる2万字 - ひとなぐりこけし

 

 例えば、適切な引用を行っているポストモダン思想の研究者と、不適切な引用を行う自称・科学の味方がいるとして、私には前者の方がはるかに話が通じる相手に思える。こう言っても納得しない人間がいるのは驚きである。そんな人は、例えば「人民を解放する」という名の軍隊は人民を解放し、「正義のための戦争」と名付けられた戦争は正義のための戦争であり、「正しい歴史を研究する」という名の団体は正しい歴史を提示するという生き方でやっていっているのだろう。

 まあそこまで単純ではないと思うが「ポストモダン」相手だと、例えば進化論に好意的で、科学の味方として振る舞ってさえいれば、それで中身も科学的だと信じ込む人々が少なくないようだ。方法や過程などおかまいなしである。あるいは誰かさんを論壇政治の鉄砲玉にしている人間もいるだろう。そういう手合いは早く落ちぶれてほしい。

 とはいえ、私はさほど悲観していない。最悪、数十年後、数百年後先の冷静な時代に評価が定まればいいや、くらいに悠長に構えている。些末な事柄といえば些末な事柄なので、何もかも忘却されている可能性も大きいけど。